東京・国立新美術館で開催されている「ピカソ展」へ行ってきました♪
今回の展覧会は、2023年にパリで開催された、
ピカソ没後50周年を記念する特別展をもとにした国際巡回展。
日本では国立新美術館のみで開催されている貴重な展覧会です!
正直に書くと、今回足を運んだ一番の目的はピカソではなく、
大好きなポール・スミスが手がけた会場レイアウトでした😅 軽い推し活。
ポール・スミスならではのポップで遊び心あふれる演出は、この展覧会ならではの魅力。
一方で、ピカソの作品をじっくり鑑賞したい方は、演出の感じ方が少し分かれるかもしれません。
そんな点も含めて楽しめる展覧会でした🎨
合わせて同時開催されていた、森英恵さんの記念展の内容はこちら☟
『ピカソmeets ポール・スミス』展
パブロ・ピカソ(1881~1973)
1881年にスペインで生まれたパブロ・ピカソは、
91歳で亡くなるまで数万点もの作品を残した、20世紀を代表する芸術家です。
幼い頃から驚くほど写実的な絵を描く才能を持っていましたが、
「見たまま」ではなく、物事の本質や多面的な見え方を表現することを追求しました。
「青の時代」やキュビスムなど、生涯を通じて画風を変化させながら、新しい表現に挑み続けたことでも知られています。
絵画だけでなく、陶芸や舞台美術にも取り組み、
「ゲルニカ」では社会や政治へのメッセージを力強く表現しました。
また、正式な名前が100文字を超えるほど長いことでも有名で、
私たちが親しんでいる「パブロ・ピカソ」は、そのほんの一部に過ぎません。

テーブルの上に、指に見立てたパンを並べるピカソ
サー・ポール・スミス(1946~)
1946年、イギリス・ノッティンガム生まれ。
2026年現在80歳のポール・スミスは、クラシックなスタイルに鮮やかな色彩やユーモアを取り入れたデザインで世界的に知られるファッションデザイナーです。
2000年(54歳になる年)にはファッション界への功績が認められ、
イギリス王室からナイトの爵位を授与され、「サー(Sir)」の称号を得ました。
会いたかった~😫
好奇心旺盛な二人の共通点
ここからは、時代もジャンルも異なる二人の「共通点」に注目してみたいと思います🐰
常識にとらわれない発想
パブロ・ピカソは、写実的な絵を描ける確かな技術を持ちながら、あえて従来のルールを壊し、
キュビスムという新しい表現を生み出しました。
ポール・スミスも、クラシックなスーツに鮮やかな色やストライプ、ユーモアを加え、
「ひねりのあるクラシック」という独自のスタイルを築き上げています。
色彩へのこだわり
どちらも色を大胆に使いながら、自分らしい世界観を表現してきました。
ポール・スミスがピカソに惹かれた理由の一つも、その自由な色彩感覚だといわれています。
ジャンルを超えた創作
ピカソは絵画にとどまらず、彫刻・版画・陶芸・舞台美術など幅広い分野で制作を続けました。
ポール・スミスも洋服だけでなく、家具やインテリア、自転車、文房具まで、さまざまな分野でデザインを手がけています。
遊び心
ピカソは作品の中で形を大胆に変形させたり、ユーモラスな表現を取り入れたりしました。
一方ポール・スミスも、服の裏地やボタン、ストライプなど、見えにくい部分にまで遊び心を忍ばせることで知られています。

以前販売されていたヘッドホンをスマイルに見立てたポールスミスのTシャツ。
いろんな角度から楽しく物事を見るセンスが本当に好きです♪
※展覧会グッズではありません。

このTシャツ、再販してほしいなぁ‥
🐰🎨🐰🎨🐰🎨
約65年の時を隔てた二人ですが、
「既成概念にとらわれない自由な発想」「色彩へのこだわり」「遊び心を忘れない創造性」という共通点があります。
だからこそ、画家とファッションデザイナーという異なる分野でありながら、
不思議なほど自然に響き合う展覧会になっているのです。

ピカソ、ポールと日本の関係
パブロ・ピカソと日本
- 浮世絵をはじめとする日本美術に関心を持っていたといわれています。
- 陶芸制作では、日本の陶芸文化や東洋美術からも刺激を受けたと考えられています。
- 日本では戦後から大規模な展覧会が何度も開催され、多くの日本人芸術家にも影響を与えました。
- さらに、孫のダイアナ・ウィドマイヤー・ピカソは日本での展覧会監修にも携わるなど、現在も交流が続いています。
ポール・スミスと日本
- 親日家として知られ、日本文化を深く愛しているデザイナーです。
- 初来日は1980年代で、その後も何度も日本を訪れています。
- 日本の職人技やものづくりを高く評価し、生地や縫製、伝統工芸からインスピレーションを受けています。
- 日本限定アイテムを発表したり、日本企業とのコラボレーションを行ったりするなど、日本との関係は非常に深いものがあります。
- 日本には多くの直営店があり、世界の中でも重要なマーケットの一つとなっています。
作品たち
15部屋からなる展示は全作品、撮影OKです📷✨
しかし、ガラスの反射やほかの方もいて譲り合いながらなので
なかなか正面からの撮影は難しいです‥
『トロンプ・レスプリ(精神を欺くもの)』の部屋

まず初めに出迎えてくれるのは、自転車のサドルとハンドルを『牡牛の頭部』。
闘牛の国スペインに生まれ育ったピカソのユーモアが効いている作品。
その横には、ポールの会場レイアウト。
ブランド:ポール・スミスを象徴するマルチストライプのサドルもあります♪

少年時代に自転車競技の選手を目指していたポール。
事故のため、夢をあきらめましたが、今でも自転車やウェアのデザインを手掛けています。
『ヴォーグ(流行)中の芸術家』の部屋
歴代VOGUEの表紙がレイアウトされた部屋。

ピカソは、美しいドレスをまとった女性の写真に、ダーティーな落書きをしています。


ポップな演出がポールらしくて、とても好きです♪
VOGUEのサイトには、ポールの記事が掲載されています☟
▶Paul Smith/VOGUE
『青の憂鬱』の部屋
こちらは一転、
ダークネイビーに塗られた壁に『青の時代』と呼ばれた作品が数点。

親友の死を期に、社会の最貧困層を描いた作品が多くあります。
『バラ色の女性たち』の部屋
壁が一面ピンク色で、絵をじっくり見ると、目がチカチカしてきました😅


左「母と子ども」のように、ピカソは多くの母と子の作品を描いています。
この作品は、いわゆる「ピカソらしさ」が表れている画風ですが、
他の作品には、やわらかな表情や緩やかな線で描かれているものも多くあります。
同じ「母と子」というテーマでありながら、時代や作品によって表現は大きく異なります。
さまざまな母子像を見比べてみると、ピカソが一つの主題をどのように変化させながら描いてきたのか、その幅広い表現力に気づかされます。
途中、壁にポールのお絵かきを発見✨


この他にも2点見つけました。
いろんなお部屋がつながっています。

水色にはまっていた時期があるので、とても幸せな空間🥰
『キュビスムの実験室』の部屋
ピンク部屋から一転、ベージュの落ち着いた部屋には
対象を単純化するキュビスムという表現方法で描かれた作品。

無機質な印象を与える作品です。


左の絵は、「グラス、リンゴ、本」という作品
右の絵は、「ザクロ、グラス、パイプ」らしい。

芸術って、難しい🤗
『アッサンブラージュとコラージュ』の部屋

沢山の壁紙が貼られたデコラティブなお部屋。
ピカソの作品と、壁紙を一緒に撮影したいけど
中々難しいです。

「帽子の男」という作品。

これは、「ギター」。
配色が可愛かったので、小さいクリアファイルを購入しました♪
『古典主義の画家』の部屋
壁は、シンプルな白。
「秩序への回帰」とともに描かれた古典主義という事で
デッサンなどが飾られています。


無駄を省いたようなアウトラインの作品。

水色の部屋を行ったり来たり。

ベンチで休んでいる方も、アートになってしまうポールのマジック🎩
『子ども時代』の部屋。



左「アルルカンに扮したパウロ」
右「トラックの玩具で遊ぶ子ども」
パウロはピカソの長男で唯一の嫡出子。
ちなみに、パウロ(Paulo)はポール(Paul)の言語違いです。
聖書に登場する聖人「パウロ(Paul)」に由来する名前で、国によって発音が変わります。
ピカソの長男の本名はスペイン語の「パウロ」ですが、
彼が生まれ育ったフランスでは「ポール」と呼ばれていました。

ちょっとしたポールスミスとの共通点です。
ピカソには正妻と2人のパートナーの間に2男2女の子供がいます。
「人形を持つマヤ」のモデルである長女マヤは
非嫡出子でありましたが、ピカソから深く愛され肖像画が数多く残されています。

これぞピカソという作風で、結構好きな作品。
マヤは、ピカソ作品の鑑定人・美術史家として、遺産の保護と評価に貢献しました。
2番目のパートナーとの間には、1男1女のクロードとパロマがいます。
クロードは、1989年から2023年まで「ピカソ財団」の代表を務め、
膨大なピカソ遺産の著作権管理や真贋鑑定を統括しました。
また、パロマは「ティファニー(Tiffany & Co.)」の専属デザイナーとして有名です。
2023年に兄クロードの後を継ぎ、ピカソ財団の代表に就任しました。
『闘牛』の部屋
部屋一面が真っ赤なので、注意が必要です。
闘牛のように興奮するかもしれないし、眼精疲労や残像が見えることがあります(笑)

展示作品は、いたってシンプルなものが多く
赤の影響はさほどありません。(?)


闘牛士と闘牛。
このシンプルさでも、情景が分かる😳

「コリーダ:闘牛士の死」
とんでもない大惨事に巻き込まれている‥
『ストライプ』の部屋
ストライプと言えば、ポール・スミスの得意とする柄🤩




色々と考える余地を与えてくれる作品たち。
背景と一緒に撮りたくて、ピカソの絵が遠くなってしまいました。ごめんなさい😗
『戦時中』の部屋
スペイン内戦から第二次世界大戦にかけて、
ピカソはファシズムや戦争への抵抗を作品に刻み続けました。
ナチス占領下のパリでは、「死」や「飢え」を思わせる作品を数多く制作。
歪められた人体や死骸、頭蓋骨を描き、人間の苦しみや戦争の虚しさを表現しました。


戦時中の作品というと、ゲルニカがあまりにも有名ですが
日本で公開されたことは無いそうです。

「室内のフクロウ」
一見すると、丸い目をした愛らしいフクロウが描かれた作品です。
しかし、この作品が描かれたのは、第二次世界大戦が終わった翌年の1946年。
白や黒、灰色を中心とした暗い色調と、閉ざされたような室内には、どこか不穏な空気が漂っています。
かわいらしい生き物と、戦争の影を思わせる緊張感。
その対比が、この作品を印象深いものにしています。
★逸話★
ピカソは1946年、南仏アンティーブのグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したとされています。その後、ピカソの作品にはフクロウがたびたび登場するようになりました。
『一点もの』の部屋
白い壁に一面のお皿。
その中に、ピカソが1940年代後半に没頭した陶芸作品が展示されています。

この部屋では作品がここに集結していて、他の方との譲り合いだったので
至近距離での撮影は難しかったですが、
この作品☟ポールスミスが作ったよと言われてもわからないくらいポールっぽい(笑)

これは割とお遊び感満載だけど、
もっと緻密に描かれた馬の作品もありました。
以前、ピカソの作品を見たことがあったのですが
その中に、私がよく描くコレ☟みたいな顔の作品がありました。

あの作品をもう一度見たいのですが、タイトルが分かりません‥
でも、私はピカソにはなれないけど
ピカソは私になれるんだと思いました。←
『《草上の昼食》』の部屋
巨匠エドゥアール・マネの絵画《草上の昼食》(1863)の再解釈。
草原を模した緑色の落ち着く部屋です。
これは、壁にプリントされたマネの作品。

ピカソの再解釈。

「草上の昼食(マネに基づく)」



再解釈…
原型をとどめない。
やわらかい女性のフォルムが、完全にメカニカルになっている気がする。
『ピカソのボーダーシャツ』の部屋
青い壁に、見上げると
マリンファッションを彷彿とさせるボーダーシャツの群れ。


第二次世界大戦後、報道写真やテレビの普及とともに、
ピカソの「白髪にボーダーシャツ」というおなじみのイメージが定着していきました。
その姿を決定づけたのが、写真家ロベール・ドアノーによるポートレート。
この写真のタイトルは「ピカソのパン」
南仏で陶芸に夢中になっていた頃のピカソを捉えた写真です。
4本指のパンは「ピカソ」と名付けられ、これはパン屋のアイデアなのだそうです✋
『晩年:1969—1972』の部屋
ボーダーシャツの流れから、ボーダーの壁。

晩年、南仏ムージャンで暮らしたピカソは、90歳を超えても制作を続けました。
自由に走る筆の線や大胆な人物表現からは、年齢を感じさせないエネルギーが伝わってきます。


長い人生の最後まで、描くことを楽しみ、新しい表現を探し続けたピカソ。
年齢を重ねてもなお、ピカソの創作への情熱が感じられます。
『展覧会のピカソ』の部屋
一面、ピカソの展覧会ポスター。

SNSがなかった時代、ポスターは街の中で人々に情報を届ける重要なメディアでした。
展覧会のたびに街へ貼り出されたポスターは、作品の一部が美術館の外へ飛び出し、
「美術を見る」という行為の入口が、街の中にも生まれたと考えることができます。
どれがポスターで、どれが作品かわからなくなります(笑)



綺麗に並べられたヴォーグの表紙で始まり、
乱雑に貼られたピカソのポスターで終わる。
同じポップさでも不思議な対比を感じました。
ひきこもり時代に見逃したポール・スミス展
何度か書いていますが、過去に5年弱のひきこもり期間があった私。
その時に、出会ったポール・スミスという
英国紳士でありながら少年のような無邪気さを持ったデザイナー。
彼自身の展覧会があったのですが、外に出られず見逃してしまいました😥

だからこそ、今回は間接的ではあるけれど
ポールのかかわる展覧会に来られてよかったです♪
彼のブランドのお洋服は1着しか持っていないけど、
彼自身がとても好きです。
特に、女性遍歴の激しいピカソと違い(軽くディスってる⚡)
ポール・スミスには、長年寄り添うポーリンという存在がいます。

PaulとPauline、名前も似てる♪
ポール・スミスとポーリン
二人が出会ったのは1967年。
当時21歳だったポールはまだファッションデザイナーではなく、ノッティンガムで働いていました。
一方のポーリンはファッションを学び、「ロイヤル・カレッジ・オブ・アート」でクチュールを学んだ人物です。
ポーリンは、デザイナーとして歩み始める前のポールに、服づくりの知識を伝え、
最初のショップを開く背中を押しました。
「ポール・スミス」というブランドの原点には、実はこの二人のパートナーシップがあります。
華やかなデザイナーの陰にいる「妻」というより、
彼の人生と仕事をともにつくってきた大切な存在なのです。
そしてポーリンは、1975年頃から今まで約51年、
ポールのファッションショーの前に、
ショーの成功を祈る小さなウサギのチャームをポールにプレゼントしています🐰
ポール・スミスにとって、ウサギは幸運を呼ぶラッキーアニマル。
世界中のファンからも、ウサギのプレゼントが届くそうです🐰❤
買ってしまった戦利品。
※ぬいぐるみは違います


お部屋に飾ろう♪
と、最後はポール・スミスの男をあげる事を書いてしまいましたが
森英恵展と共に、1日芸術に触れることができて刺激的な日でした🎨🖼
【おまけ】ディナーは「スシモン」で
へとへとになりながら、夕飯は行きたかったスシモンへ🍣

山盛りの海鮮丼✨
食べきれるかなと思いましたが、周りの若い女の子たちも普通に平らげていました😋
マグロ丼🐟

お出汁でもいただけます♪

また面白い展覧会があったら、足を運ぼうと思います👣
本日もご覧くださり、ありがとうございました!



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